【小さな英雄たちの物語シリーズ】在日コリアン3世・高敬一さん「名前を取り戻す」

私はなぜ日本で生まれたのか?
「私は日本で生まれた。でも祖父は済州島から日本へ渡ってきた韓国人だ。それなら、私はいったい何者なのだろう?」
日本に暮らす多くの在日コリアンは、一度はこの問いに向き合ったことがあるかもしれません。
今回は、その問いに 自分の人生で答えを見つけてきた方を紹介します。
在日コリアン3世として大学生になった高さんは、もともと、学校でも大学でも日本名を使っていました。
しかし、ある時から心の中の問いが大きくなっていきます。
「本当の自分の名前は何だろう?」
彼は、韓国名である 「高敬一(コ・ギョンイル)」 を選び直しました。
そして大阪の大学で国際文化を専攻し、研究テーマとして独立運動家 安重根(アン・ジュングン) を取り上げます。さらに大学院の推薦を受け、韓国・大邱の 啓明大学(ケイメイ大学) に1年間留学し、韓国近現代史も学びました。
ルーツと向き合う人生
1916年、済州島で生まれた高さんの祖父は16歳で日本へ渡りました。
戦後の混乱の中で生計を立てるため、済州島を離れて日本・大阪に定住することになります。
祖父は大阪の「済州島水山里会親睦会」のリーダーとして同村の人々を支え、祖母は儒教的価値観を大切にし、こう言い続けました。
「だまされてもいい。正直に生きなさい。」
高さんは語ります。
「正直に生きること、そして地域の人を助けることは、家庭の中で自然に身についた価値観でした。」
「一世がいたから、今の私たちがいる」
現在、高敬一さんは大阪で特定非営利活動法人 在日コリアン高齢者支援センター『サンボラム(삶보람)』(https://sanboram.org/) の理事長として活動し、在日コリアン一世の方々を支える生活を続けています。
同じ韓国人の奥様も、共にサンボラムで活動しています。
弟は障がい者施設で働き、妹は日本人と結婚し経理職として働いています。
家族それぞれが、それぞれの場所で日本社会に貢献しています。
大学院修了後、高さんは在日コリアンの子どもたちのためのボランティアに参加し、さらに人権運動団体での活動にも関わりながら、在日社会への支援を本格化させていきました。
特徴的なのは、彼の活動が 民団や総連のいずれにも属さず、中立的な立場から「同じ民族として」在日同胞の生活を支えてきた点です。
1997年に、先輩たちがボランティアで始めた事業(彼も当時、学生ボランティアとして参加)を引き継ぎ、今日まで約29年間、
- 在日高齢者の生活支援
- 介護(ケア)事業
- 次世代育成
を柱に活動を続けています。


コロナ禍――最もつらかった時期
長い活動の中で、最も厳しかったのはコロナ禍でした。
支援していたおばあさん、おじいさんたちが次々に亡くなり、現場のスタッフも大きな喪失を経験しました。
「お一人が亡くなるたびに、歴史の一部が消えていくようでした。」
それでも活動を止めなかった理由は、「継承」への責任感でした。
「在日一世がいたから今の私たちがいる。その恩返しの気持ちで続けています。」
次世代へ伝えたいこと
かつて自分のアイデンティティに悩んでいた“青年”は、今では50代になりました。
高さんは落ち着いた口調で、しかしはっきりと語ります。
「なぜ自分が日本で生まれ、ここで生きているのか。その歴史を知らなければならない。ルーツを知らなければ、自分を理解できない。」
思春期や大学生の時期、多くの在日青年がアイデンティティの葛藤を抱えます。
だからこそ高さんは、歴史教育とルーツをたどる体験の重要性を強調します。
「統一ができればいい。でもまずは、互いの関係がよくなることが大事じゃないでしょうか。」

あとがき
小さな英雄の物語として
高敬一さんへのインタビューを通して、私たちはこう感じました。
- アイデンティティの回復は「内なる分裂」ではなく、自分がどんな生き方を選ぶのかという成熟のプロセスであること。
- 歴史教育は対立を生むものではなく、自尊感情とルーツを築く土台になり得ること。
- そして、一世への恩返しは 共同体を立て直す出発点であり、統一への第一歩になり得ること。
在日社会の未来は、こうした 静かな継承の物語の上に築かれているのかもしれません。
高敬一さんの歩みは、単なる地域奉仕ではありません。
それは「世の中を広く益する」――弘益人間の精神の実践そのものです。
小さなつながりが、大きな変化を生みます。
互いを理解し、学び、尊重するとき、未来は変わる。
私たちはそうした意味で、高敬一さんの生き方を応援します。


