【小さな英雄たちの物語シリーズ②】在日コリアン2世・南珣賢さん「自分をよく知ることで、自分を愛することができる」

在日コリアン2世・ナム・スニョンさんが語る、
家族の歴史と人を包む福祉の力
ナム・スニョン(南珣賢)さんのお話を伺っていると、
人の人生とは結局、自分を育ててくれた家族と、自分自身が努力して歩んできた時間の上に築かれていくものだと感じます。
ナムさんは在日コリアン2世として、日本・京都にあるNPO法人エルファ(LFA)で活動されています。
大学では歴史を学びましたが、ナムさんが本当に深く学んだのは、教科書の中の歴史ではありませんでした。
父と母が生きてきた歴史、解放と分断を経て日本に根を下ろした家族の歴史、そして在日1世・2世が身をもって生き抜いてきた歴史でした。
そうした歴史の中で、自分自身のアイデンティティを見つめ、今はその歴史を受け継ぎ、さらに未来へつないでいくために、自らの時間と心を注いで生きています。
家族が守ってくれた言葉と暮らし
ナムさんの父親は、解放前に日本へ渡り学び、解放後は在日同胞の子どもたちのために民族教育や学校づくりに関わりました。
日本語しか学べなかった子どもたちに「自分たちの言葉を取り戻さなければならない」という思いがあり、その切実な願いが民族教育の出発点となりました。
母親は安東(韓国中部の都市)の大家族に嫁ぎ、厳しい生活と祭祀を担ってきた方でした。
ナムさんが語ってくださった「祭祀に見せかけた食事の場(ヘッチェサ)」の話は印象的です。
安東の両班(ヤンバン)家では珍しくない慣わしでしたが、生活が苦しい学生や人々を招き、祭祀のようにして食事を振る舞うものでした。
人に食べさせ、人を支える心が、家族の日常の中に自然に根付いていたのです。

父は厳格な人でした。家では日本語を使わせず、本を読むことを重んじました。
「その時間があるなら本を読みなさい」
とよく言われたそうです。
母はより温かく包み込むような方でしたが、身だしなみや言葉遣いを大切にしました。
同時に、日本でチョゴリを仕立て、家計を支えました。
当時、朝鮮学校の制服は韓服だったため、その仕立てを通して家族を守り続けた力強い母でもありました。
理想と教育を大切にした父、生活と労働で家庭を支えた母。
ナムさんはその二人のもとで、在日コリアン2世としての自分のあり方を見つめていきました。
終わるはずだった分断、続く家族の痛み
ナムさんにとって歴史とは、単なる時代の流れではなく、自分の家族の中に残る痛みであり、今も続いている現実でした。
それでも家族は希望を失いませんでした。「いつかまた会える」という思いがあったからこそ、乗り越えてこられたのです。
それは決して大きな言葉ではなく、ただ「家族を諦めない」という静かな心でした。
“家族を諦めない”
本で学ぶ歴史より、人の中にある歴史
ナムさんは朝鮮学校と朝鮮大学校で学び、「自分は自分でいい」と思える力を得たと語ります。
差別や不便はあったけれど、自分を否定せずに生きていける力を得たというのです。
同時に、これからのあり方についても考えています。
朝鮮学校はアイデンティティを守るために必要な場所である一方、日本社会との関わりの中で、より開かれた姿勢も求められていると感じています。
以前に比べて生徒や保護者の背景も多様になり、学校も日本社会にその存在を広く知らせ、交流を深める方向へと少しずつ変わってきているといいます。
ただ、かつての差別の記憶や日本との歴史的葛藤の中で、守りたいものがあるがゆえに、簡単には開けない気持ちもある。

ナムさんの見方は明確です。
アイデンティティを守りながら、閉じたままでいない。
それが、これからの朝鮮学校が歩むべき道の一つだというのです。
そんなナムさんがエルファで働くようになったのは自然な流れでした。
もともとは記者として同胞社会に関わっていましたが、京都に移り住み、在日1世の聞き取り調査に関わったことで大きく変わります。
「自分は在日社会を理解している」と思っていたものの、実際に出会った1世の人生は想像を超えるものでした。
その語りは、どんな本よりも深く心に残りました。そして、「この歴史に自分も関わりたい」と思い、エルファでの活動へとつながっていきました。
エルファが教えてくれた、共に生きる力
ナムさんにとってエルファは、単なる福祉施設ではありません。入浴や食事、運動といったケアだけでなく、「自分は生きていていい」「自分の人生にも意味があった」と感じられる場所であることが大切だと考えています。
その信念は、エルファのおばあさんたちから学んだことです。おばあさんたちは人と向き合うとき、違いよりも先に共通点を探そうとします。そしてその共通点を見つけて言葉にした、ちょっとした一言が、訪れる人の心を温め、希望のエネルギーになることがあります。
たとえば、就職がうまくいかず落ち込んでいる学生が来ても、
「うちの子の中にもそういう子がいたよ。でも後から見たら、その子が一番親孝行してくれたんだから」
と、ふっと心を開かせてくれます。
聴覚障害のあるスタッフが来たときも、「私たちが日本に来たときは、聴覚障害と同じだったよ」と自分の経験を語り、偏見よりも先にその人を受け入れ、包み込んでくれます。
こうした姿の中でナムさんは、この共同体の価値に気づいていきます。
疎外され、差別されてきた人たちは、むしろより大きな心を持てること。
痛みを知る人は、他人の痛みにも早く気づけるということを。
エルファの本当の魅力はここからです。
ここは単なる福祉施設ではなく、夢を語り、実現し、人と出会い、文化を生み出す場所でもあります。
「おばあさんたちにも夢がある」
とナムさんは言います。年をとれば夢はないと思いがちですが、エルファでは「何をしてみたいか」を問いかけ、その小さな願いを一緒に叶えようとします。
たとえば、「いつも行っていた市場へ、自分の足でもう一度行きたい」と言うおばあさんがいます。
また「死ぬまで自分でキムチを漬けたい」と言うおばあさんもいます。
そうした願いは、誰かには小さく見えるかもしれません。
でもナムさんは、これこそが尊い夢だと言います。
そして、ただ聞いて終わりにしない。実際に一緒に叶えようとします。
キムチを漬けたいというおばあさんがいれば、若い世代がやって来て、そのおばあさんからキムチの漬け方を教わります。
そのとき、おばあさんはケアを受ける存在ではなく、自分の手の感覚と経験を次の世代に伝える先生になります。
ここでは、外から来た人がおばあさんたちの人生から学び、おばあさんたちは自分の経験と知恵を分かち合いながら生きがいを感じます。
「まだ自分にできることがある」「自分が生きてきたことが誰かの役に立っている」という実感が生まれます。
エルファは、福祉施設を超えた「生きる意味をつなぐ場所」なのです。

憎しみの前でも、揺るがなかった心
こうした力は、危機の瞬間にこそ明確に現れました。
2000年代に入り日朝関係が悪化し、日本人拉致問題が大きく報道されるなか、在日同胞社会は再び冷たい視線を受けることになりました。
朝鮮学校の生徒へのいじめや脅しも続きました。
その頃、京都では「在日の特権を許さない市民の会」が朝鮮学校周辺でヘイトスピーチを行っていました。
在日コリアンへの敵意と差別を煽ってきた極右団体として知られています。
エルファにも影響が及び、ヘイトスピーチをする人たちが実際に施設に来ると言ってきたことがありました。
運営側はその日、施設を閉めようかと迷いましたが、おばあさんたちはこう言ったといいます。
「なぜ私たちが休まなければならないのか」
「私たちは間違っていない」
「一歩引けば、二歩、三歩と引かされることになる」
長い差別の中を生き抜いてきた人たちだからこそ言えた言葉でした。
ナムさんはその場面を通して、傷ついた人たちが必ずしも弱くなるわけではないということを、改めて学びました。
時にはそういう人たちこそが、より正義感が強く、より勇気があり、より芯が通っています。
自分を知ることから始まる
次の世代に伝えたいことは何かという問いに、ナムさんはこう答えました。
「自分をよく知ることで、自分を愛することができる。」
ここで言う「自分」とは、性格や才能のことだけではありません。
自分のルーツ、家族の歴史、なぜ自分がここで生きているのかへの理解を指しています。
国籍をどう選ぶかよりも先に、「自分だけが知っている自分」を見失わないことが大切だとナムさんは言います。
またナムさんはこう強調します。
「人に会いに行ってください。一歩踏み出す勇気を持って、対話という冒険に挑んでほしいのです。」
人は出会わなければ、自分の中にある偏見に気づけません。
あふれる情報の中で、思い込みや勝手なイメージが形作られていきます。
しかし実際に出会うと、本当のことが見えてきます。自分とのつながりが感じられ、共感が生まれ、「その人」の立場に立って想像できるようになります。
「自分には関係ない」と思わず、自分とは異なる人や事柄について「知ろう」とする勇気、一歩踏み出す勇気を持ってください。
実際に触れ合う前に抱いていた先入観が、きっと取り払われます。
自分の「当たり前」を問い直すことで、自分の世界が広がります。そうすれば、きっとつながれる。わかり合えます。
これは在日コリアン社会だけへのメッセージではありません。
ルーツを知り、自分を認めるとき、その土台の上で、より広い世界とも健やかに出会うことができるからです。
アイデンティティを守ることとは、扉を閉めることではなく、揺るぎない土台を築くことに近いのです。
「自分をよく知ることで、自分を愛することができる」
次世代へつながる姿 ― 安昌林選手
こうした言葉は、次の世代にも息づいています。
ナムさんの息子である柔道選手・安昌林(アン・チャンリム)は、在日コリアン3世として日本で生まれ育ちながら、帰化の誘いを断り、韓国代表としてオリンピックに出場しました。
2020年東京オリンピック柔道男子73kg級で銅メダルを獲得しています。
メディアは安昌林選手の選択を「祖父母が守ってきた国籍」と表現しました。
差別と苦労の中でも家族が守り続けた国籍とアイデンティティが、次の世代の選択へとつながったということでしょう。
ナムさんが語った「自分をよく知ることで、自分を愛することができる」という言葉が、息子である安昌林選手の選択の中にも、別の形で生き続けています。
結びに ― Korean Dreamへ
このインタビューを通して感じたのは、アイデンティティは一人で作るものではないということでした。
家族の中で育まれ、生きてきた時間の中で育ち、誰かの人生を知り、誰かと共に歩む中でより深まっていきます。
エルファで見たのは、助け合い、支え合う「家族のような文化」でした。
入浴や食事、介護サービスを提供するだけの施設ではなく、外の人と出会い、人生の物語を分かち合い、世代と世代がつながり、おばあさんたちが夢を語り実現していく、そしてその過程でまた新たな文化が生まれていく場所でした。
その中で人々は、ケアを受けるだけの存在ではなく、互いを生かし、互いに意味を手渡す存在になります。
伝統的な韓国家庭の価値の上に、共に生きる文化が広がり、やがてコミュニティへとつながっていくとき、弘益人間(こうえきにんげん)――「広く世を益する」という理念も、暮らしの中に息づいてくるのかもしれません。
ナム・スニョンさんの歩みは、その可能性を静かに教えてくれていました。


